馬頭観音(ばとうかんのん[1]、梵: ???????、hayagr?va[1]、ハヤグリーヴァ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられている。観音としては珍しい忿怒の姿をとる。 梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」の意である。これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあり、馬頭観音の成立におけるその影響が指摘されている[2]。他にも「馬頭明王」、「大持力明王」など様々な呼称がある。衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である。「師子無畏観音」ともいう。 他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、一般に馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した憤怒(ふんぬ)相である。このため、密教では「馬頭明王」と呼ばれて仏の五部で蓮華部の教令輪身(きょうりょうりんじん)であり、すべての観音の憤怒身ともされる[3]。それゆえ柔和相の観音の菩薩部ではなく、憤怒相の守護尊として明王(みょうおう)部に分類されることもある。 また「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。さらには、馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされていて、『六字経
概要
馬頭観音の柔和相は『覚禅鈔』に初出して、四面二臂の異相の馬頭観音であり、この姿は『陀羅尼集経』に説くところと一致している。いわゆる柔和相の馬頭観音として有名なものには福井県・中山寺の「馬頭観音像」(三面八臂)[4]や、滋賀県・横山神社の「馬頭観音立像」(三面八臂)[5]があり、憤怒相と柔和相の両面を持つものとしては栃木県日光市・輪王寺の「馬頭観音像」(三面八臂)[6]も知られている。神奈川県南足柄市内山の石仏(通称「赤観音」)は、一面二臂の柔和相の馬頭観音である。異相として、千葉県多古町・蓮華堂の「馬頭観音像」は、化仏としての阿弥陀仏を頭上に戴き、馬頭はなく、一面八臂の柔和相で白馬に乗った姿である。
馬頭観音の石仏については、馬頭の名称から身近な生活の中の「馬」に結び付けられ、近世以降、民間信仰に支えられて数多くのものが残されている。また、それらは「山の神」や「駒形神社」、「金精様」とも結びついて、日本独自の馬頭観音への信仰や造形を生み出した[7]。
像容インド神話のハヤグリーヴァ
経典によっては馬頭人身の像容等も説かれ、胎蔵界曼荼羅にも描かれるが、日本での仏像の造形例はほとんどなく、わずかに東京都練馬区の本壽院と、神奈川県横浜市西区の萬徳寺に作例が知られる[注 1]。立像のほうが多いが、坐像でも少なからず造像される。頭上に馬頭を戴き、胸前では馬の口を模した「根本馬口印」という印相を示す。剣や斧、棒などを持ち、また、蓮華のつぼみを持つ例もある。剣は八本の腕のある像に多い。また、騎馬姿の像も存在し、馬に跨るか、馬上で結跏趺坐する(馬の背に直接、または馬上の蓮華座上に座す)姿で造像される。これは房総地域に特に多いが、愛知県岡崎市の無量寺(三河善光寺) ⇒や、鹿児島県日置市の妙円寺旧境内地の石仏など、作例は他地域にも散見される。
石川県・豊財院の木造立像や、福井県・馬居寺(まごじ)の木造坐像は平安時代の後半にまで遡る作例である。また、福岡・観世音寺の木造立像は高さ5メートルに及ぶ大作で、日本の馬頭観音像の代表例と言える。京都・浄瑠璃寺の木造立像は、鎌倉時代の南都仏師らの手になる作例である。
チベット仏教チベット密教:サムイェー寺の馬頭金剛像
チベット語ではタムディン(????????? rta mgrin)という[8]。子供、特に幼児の健康を守ると信じられていて、セラ寺などでは子供連れの参詣をよく見かけ、大人と一緒に列に並んだ後、順番が来ると鼻に魔除けの黒墨を塗った幼児・子供ちたは僧侶から直接に祝福を受ける。[9] チベット密教のニンマ派の『修法の八教説』[10]ではペマ・スン(?????????? pad ma gsung、蓮華語)。 【真言】
幼児連れでセラ寺へ参詣
ニンマ派
真言・三昧耶形・種子・手印
おん あみりと どはんば うんはった そわか[11]
おん あみりとどはば うん はった (天台宗系) [12]
O? am?todbhava h?? pha? [13]